ARTIST INTERVIEW VOL.06
城端蒔絵 十六代 小原治五右衛門

漆黒の宇宙に感性を投影する人
一子相伝とされる白蒔絵法の純白をはじめ鮮明な中間色の発色やぼかしの技法など、多彩な表現を可能にした城端蒔絵。その歴史は、天正三年(1575年)にまで遡る長い歴史をもつ工芸である。2019 年、十六代 小原治五右衛門を襲名したその人は、「『治五右衛門』になろうとしないことが、『治五右衛門』なんですよ」と襲名への抵抗も重圧もなかったと自然体で笑う。

第63回 日本伝統工芸富山展 富山県知事賞 受賞作
しかし、襲名前に制作した作品にある出来事がおきた。蛇の脱皮をモチーフにした斬新なデザインの評判が芳しくなかったのだ。これまでの城端蒔絵の花鳥文様とは異なる意匠が、伝統工芸品としてふさわしくないと判断されたらしい。結局、その作品は国内で人の目に触れる機会はなかった。縁があり、NY のギャラリーで展示されたところ、あるインテリアデザイナーに「クール!」と気に入られ、マンハッタンが一望できる高級ホテルのモデルルームに飾られるという運命をたどった。「ニーチェの言葉に“脱皮できない蛇は滅びる”というのがあります」と十六代 治五右衛門さん。伝統工芸も、その神髄を守りつつ、新しい試みに挑むことの大切さを改めて認識する機会となった。

第71回 日本伝統工芸展 日本工芸会新人賞 受賞作
この十年後に制作されたのが、日食・月食を意味する『Eclipse』。天文学者でもあった八代 治五右衛門さんの遺した渾天儀や和歌にインスパイアされ制作したのが、漆黒の宇宙に城端蒔絵で日食・月食を意匠化した飾箱。十二角の箱に壮大な天体の運行を表現した意欲作は、第71回 日本伝統工芸展で「日本工芸会新人賞」を受賞。古典的な文様のみならず、魅力溢れる意匠を開拓し、城端蒔絵の歴史に新たな 1 ページを刻んだ。

代々の治五右衛門さんがそうであったように、十六代も漆芸のみならず幅広い活動を続ける。国内外での展示会や講演を通じた日本の美術工芸の普及活動ほか、ワークショップを開き、子供たちに体験を通して地域の文化を知ってもらう伝道活動にも力を注ぐ。それだけではない、 地元・城端の曳山や庵屋台をはじめ、文化財の修復にも従事しながら様々な活動で国内外を飛び回る日々でもある。ご先祖の作品も含め、漆工芸の修復時に「下地を剥がすと、誰にも見えないのに手を抜かない姿勢に感じるものがありますね」と十六代。「誰も見ていなくても自分が見ているし、そうした仕事は200年~300年後に反映される。正直ものは馬鹿をみない」のだと語る。

蒔絵同様、城端の文化を愛する十六代は、毎年5月に開催される「城端曳山祭」では篠笛の奏者でもある。また、平成三十年には、六ヶ町の若連中をまとめ、城端曳山祭の全体の運営を担う庵連合会会長も務めた。創作の時間はあるのか心配になるが、「いつも頭の中に作品の構想がある」と破顔する。時間軸も空間軸も跳び越えて、様々な人や物と交流する令和の漆藝家である。

※2025年、城端蒔絵450年記念展を開催予定
■「城端蒔絵450年 小原治五右衛門と城端のあゆみ」
(9月13日~10月26日/南砺市立福光美術館)
■「城端蒔絵450年記念 十六代 小原治五右衛門 展」
(12月17日~22日/日本橋三越本店)

十六代 小原治五右衛門
OHARA Jigoemon XVI
1979年、富山県南砺市城端生まれ。 安土桃山時代・天正三年(1575)から一子相伝で継承する「城端蒔絵」の十六代目。代々「小原治五右衛門」の名を襲名し、天覧品や茶道具などを制作。日本、ニューヨーク、ワシントンD.C.、インドネシア、香港など国内外での展覧会活動や、ユネスコ無形文化遺産に登録されている「城端曳山祭」で巡行する曳山・庵屋台などの文化財保存修復にも従事。また、TEDxをはじめ国内外での講演やプレゼンテーションに登壇し、漆藝の技のみならず、時代とともに進化しながら継承されてきた精神性や美意識、その根底に息づく城端文化の真髄を広く発信している。2025年、城端蒔絵450年記念展を開催予定。