ARTIST INTERVIEW VOL.07
鋳金家 般若 泰樹

金属が織りなす無作為の美を求めて
風炉や茶釜、建水といった伝統の茶道具をはじめ、複雑な文様が魅力の吹分技法の盤や花瓶など、さまざまな作品を制作する鋳金家の般若泰樹さん。制作は、大小多くのアルミや鋳物工場が集まる高岡市長慶寺の一角にある明治3年創業の「般若鋳造所」で行われる。ここは般若泰樹さんの仕事場であり、アトリエでもある。納期や締め切りが迫ったりすると、ほぼ毎日早朝から出勤して製造や制作に励むという。

吹分は幕末から明治時代初期には存在していたといわれる技法。当時は加賀象嵌の火鉢や花瓶などのボディに用いられ、海外などにも輸出されたという歴史をもつ。長い間、不明だった材料の配合割合などを試行錯誤の末、改めてオリジナルの吹分を作り出したのが、泰樹さんの父・般若保さんだった。ブロンズと真鍮、二つの異なる金属を絶妙のタイミングとスピードで鋳型に流し込む。そのため吹分の作品は一人では作れない。必ず共同作業で一つの作品を作り上げる。形をデザインし、ブロンズや真鍮の量を調節することはできる。が、自分の意のままに文様を作ることはできない。そこが吹分の面白いところでもあり、難しいところでもある。密度の違いから真鍮は軽く、ブロンズは流し込むと下に溜まる。さらに空気を巻き込むと穴があいたり、わずかな温度変化で金属同士がくっつかないなどの失敗も。

作為のない美を求め、父・保さんと二人、息を合わせ、あうんの呼吸で型に流し込む。そのためかどうかは分からないが、雰囲気はおのずと似てくるという。若い頃は「違いを出さなくては」と思い込んでいた。が、ある人に「オヤジと一緒でいいんだよ」と言われ、無理やりに自分らしさを作り出していたかもしれないと気付いたという。
別の作品でも似たような経験をした。制作した少し斬新なフォルムの茶釜が、思ったような評価がもらえず気落ちしていたところ、ある数寄者から「好きなものを作ればいいんだよ」と言葉をかけられた。「なにか背中を押してもらった気がしました」と般若さん。以来、技術的なことより、自身の感覚的なものやフォルムを重視して制作に臨む。長い作家人生の折々の出来事や人の言葉が転機となり、般若さんの自然で自由な作風を培ってきたようだ。

今は、娘さんも加わり若い感性が刺激になることも多いという。ものづくりの町高岡の代表格ともいえる高岡銅器が、産地全体でさらに魅力ある新たなものを創り出せたらと願う。「いつか親子三代の個展も開けたらいいですね」柔和な笑顔には深い思いが込められていた。


般若 泰樹
Taiju HANNYA
1972年、富山県高岡市に生まれる。大学卒業後、2年間一般企業に勤め、1996年に高岡に戻り家業と作家業に就く。1998年、第45回日本伝統工芸展で初出品初入選。2006年、第35回伝統工芸日本金工展「文化庁長官賞」。2015年、第54回日本伝統工芸富山展「日本工芸会賞」。2022年、第69回日本伝統工芸展「朝日新聞社賞」。2023年、第62回日本伝統工芸富山展「日本工芸会賞」。2025年、紫綬褒章。