ARTIST INTERVIEW VOL.12
陶芸家 釋永 陽
作家と共に成長し 深みを増す魅力
手鞠のように柔らかく丸みを帯びたフォルムが静かな温もりを宿す「mari-mari」、幾重にも重なり凜とした佇まいが印象的な入れ子鉢、端正な輪郭に深い色合いの釉薬が掛け分けられた角皿など。陶芸家・釋永陽さんの陶器は、確かな伝統の技を受け継ぎながら、多様な表現で今に息づく越中瀬戸焼を感じさせる。
幼い頃から陶芸は生活の一部だった。家の前には山から採掘した越中瀬戸焼の陶土が盛られ、登り窯が築かれていた。父は越中瀬戸焼を代表する作家・釋永由紀夫氏。ごく当たり前に父の作陶の様子を眺め、小学生になると薪運びといった窯焚きの手伝いも行った。父の焼いた食器類に母の料理が盛られることは、彼女にとって日常の風景だった。

「父の作陶風景が身近すぎて」。陶芸以外の道を志そうと思ったこともあり、染織や織物、ガラスなど興味をもったものはやってみた。それでも、最後はやっぱり陶芸の道を選んでいた。高校卒業後には由紀夫氏のもと、陶土を練って水分を均一にし、土に含まれる空気を抜く“土揉み”を始める。すぐに轆轤はさせてもらえもらえず、1カ月近くひたすら土揉みを続けたという。そんな地道な作業が、今でも彼女にとっては楽しくて心が落ち着く工程なのだという。19歳で京都府立陶工高等技術専門校に入校。修了後は富山に戻り、祖父の代から続く「庄楽窯」にて本格的に作陶を始める。土作りや釉薬作り、窯焚きまで、全て自分で行う由紀夫氏の作陶スタイルに魅力を感じたのも郷里へ戻る大きな理由だった。

初めての個展は25歳のとき、富山県護国神社の華山亭にて4日間開催した。茶器や花器など相当数を出展したが、ほぼ完売の盛況ぶりだった。ながく「家業として手伝っている意識」だった陽さんにとって、一人の陶芸家を自覚した出来事だったろう。制作は「頭に描いたデザインをまずは形に」。そこから実際に焼き上がった食器類などは、使ってみて寸法や形、釉薬などを調整し、理想に近づけるというのが彼女の作陶のスタイルだ。

陽さんは現在、夫で和紙作家の川原隆邦さんと育ち盛りの二児の母として、忙しい日々を送る。制作は住居のある立山町虫谷の工房で行うが、ほぼ毎日、庄楽窯に通い、土作りなどの下仕事に励む。今は受注した作品を中心に制作を続けている。「落ち着いたら、これまであまり取り組んでこなかった大きな花器などの制作にも取り組みたい」と作陶への思いを馳せる。作風の変化などは、自分では特に感じるところはないと言うが、他ジャンルの作家とのコラボなども含め、さまざまな経験から、「同じものを作っても、10年前とでは違っていると感じていただいているのでは。夫の(作風の)自由さからの影響もあるかもしれませんね」と朗らかに笑う。
幼い頃からの長い年月、毎日の暮らし、そしてさまざまな体験を糧に、ゆっくりと時間をかけ、彼女の作品はさらにその魅力を増していくのだろう。

釋永 陽
Yo SHAKUNAGA
1976年富山県立山町生まれ。 京都府立陶工高等技術専門校を修了後、越中瀬戸焼庄楽窯にて作陶を始める。2001年、個展活動を開始。国内外のギャラリーや百貨店での作品発表を続ける。2011年、越中瀬戸焼かなくれ会に参加。2015年、立山町虫谷の古民家に工房を移す。